第1章 序説: 昔の庭


第1章 序説 Introduction


 ఔ 昔 の 庭 PAST GARDENS ఔ



 土地台帳(英国王 William 1 世が 1086 年に作らせたものでラテン語で書かれている:訳者註)によれば11世紀の頃でもコテージ・ガーデナーたちは私が勧めているような方法で栽培していたようですが、そうしていた理由は異なったものでした。

 その当時は、庭をくつろぎの場としてデザインすることはほとんどなされていませんでした。スペースが足りないということはほとんどなかったのですが、ガースgarths(田舎のコテージや都会の家での菜園はそう呼ばれていました)は、ありとあらゆる植物がいっぱい詰め込んで育てられ、まだ分けて育てられてはいませんでした。キャベツはマリーゴールドの中に植えられ、果樹の下にはハーブが育っていました。ミツバチの巣箱があり、ニワトリがひっかきまわし、ブタさえ時には飼われていました。

 その当時、ガーデナーたちは植物の種類もはっきりは自覚せず、分けて栽培する理由がありませんでした。現代では果樹と野菜の区画は装飾的な庭園からは完全に分離されて、見えないようにされていますが、11世紀のガーデナーたちには、低木であろうが、草花であろうが、野菜だろうが、植物は植物でしかなかったのです。たいていのものは、食物として、薬草として、そして体臭を軽減するための芳香油として役にたっていました。だからみんな一緒に育てられていたのです。


混植 Companion planting

 奇妙なことに、私たちのシステムに関連するもうひとつの因子は類感呪術sympathetic magicの古い理論です。その理論では、同類は同類をひきつけ(時には退け)、植物の生物学的特性は単に一緒に育てるだけでお互いに移入すると考えられていました。例えば、ソフトフルーツの中で玉ねぎを育てれば玉ねぎにフルーツの甘さが移るという具合です。フルーツが玉ねぎの風味になるかどうかは述べられていませんが、そのほうがずっとありそうなことです!

 もちろん、植物を一緒に植える理由がこの説に基づくというわけではなく、もっとも面白いのはこの説が病害虫の管理にまで及んでいる点で、確かにそれでうまく行くのです。

 中世のガーデナーたちがなぜ混植がそれほど有効なのかの理由を知っていたとは思いません。かれらの対処法はあまりにも奇妙で、疑問を感じずにはいられません。フクロウの心臓を畑に埋めてネズミ除けにしたり、ものすごく風をまともに受けるレンズマメを植えつけて嵐による被害を減らそうとしたりするのは、実に非科学的です。

 それでも、このけっこうデタラメな方法で無差別に混植することで、おそらく彼らが知らないうちに、単に一つの種類の植物が占める面積を減らすことによって病害虫の被害を減らしていたと思われます。広大な畑に同じ植物をたくさん植えるほうが、他の植物に隠れるようにして少数植えるよりも害虫がはるかに多くなることには疑いもありません。

 更に、混植することで、害虫だけでなく捕食昆虫を含む野生生物の自然なバランスが形成・維持されるのです。それによって、一つの種類が許容できないほどの割合まで繁殖しないようにしてくれるのです。

 中世のガーデナーたちは自分たちの成功を別の理由で理解しようとするかもしれませんが、この古い時代の「管理された無秩序」状態で栽培する方法を採用することで、現代のガーデナーは確かに利益を得ることができるのです。



幾何学的配置のデザイン The formal design

 15世紀までには、ヨーロッパでの流行は劇的に変化しました。中世からルネッサンスへの変化はイタリアに始まり、フランスを経由して英国へと広がりました。戦争の勝利や海賊行為は言うまでもなく、羊毛や布、そして大きく増加した国際取引を通じて、16世紀までに英国は並びたつもののない繁栄と自由を謳歌していました。

 エリザベス女王時代の冒険者たちは世界中から植物を持ち帰り、新しく台頭した中流階級はそれらの植物を育てたいと切望していました。いまだ果物や野菜、ハーブなどを料理や薬草のために育てる必要がある一方で、入念につくりあげた楽しみのための庭園も現れ始めていました。

 裕福な商人と小作農民との間に明確な社会的分割が生じて、庭園を建設する安い労働力に不足はありませんでした。今や、裕福な人々は無秩序に散らかったようなコテージの住民の庭とは決別を望むようになったのです。トレンドは幾何学的配置です。イタリア、フランスそしてオランダに影響されて、ファッショナブルな庭が入り組んだ通路や花壇を用いて厳密な幾何学的デザインで配置されました。

 ここで再び現代のガーデナーは霊感を受けることができます。なぜなら、注意深くデザインされた花壇は純粋に目を楽しませることを意図したものでしたが、この花壇は私たちの「深い花壇」のさきがけと見なすことができるかも知れないからです。

 花壇は深く耕され(時には鍬の深さの4倍も)、大量に肥料を入れられ、通路の面より高く盛り上げられており、水はけがよく肥沃なものとなっていました。耕作はすべて通路から行われたので、土が踏み固められることもありませんでした。まさしくこれらが、深い花壇を用いたガーデニングの「新しい」方法なのです。現代の研究によると、この栽培法は実際に生産性を2倍に増やすことが示されています。

 この時期にはまだ植物の分離は進んでいませんでした。花壇はしばしばボックスウッド、ラベンダー、ローズマリーなどをきちんと剪定した小さな生垣で縁取られていましたが、その中の植栽は場所によって多様でした。ある花壇は料理用や薬草用の作物、その隣はネギ、反対側にはう純粋に装飾的な花々が植えられているといった具合です。




エリザベス1世時代の科学 Elizabethan science

 あなたが予期するように、16世紀の園芸学の一部には欠陥があります。たとえば、酸っぱいがよく育つリンゴの品種を、甘いが育ちの悪い品種に接木すると、両方の良い所取りして、甘いリンゴが沢山実るリンゴの木ができると広く信じられていました。私たちは今やこの説は学校の生徒がやるへまな間違いと分かるのですが、しかしながら、それは実は始まりなのです。ある品種に別の品種を接木すると現代の果樹へと発展させることができるという概念です。たくさんの種類の接ぎ穂が、最終的な木の大きさや実の着きやすさなどをコントロールする特別な台木に接木されています。同じ台木に2種類から3種類の異なる品種が接木された「家族木」のような、現代の小さな庭にとって大変貴重な植物もつくることができます。

 か弱い植物は桶や鉢、あるいは手押し一輪車に植えて保護されることもありました。穏やかな晴れた日にはスペインから輸入したエキゾチックなオレンジやレモンの鉢植えは外に出されます。霜が降りそうなときは温室の中に運びこまれます。

 確かに、ずいぶん面倒そうに聞こえますが、狭いスペースしかない現代のガーデナーには有用な方法でしょう。最近は、中庭が礼式に従って舗装されてコンサバトリーも珍しくなくなっていますので、室内外の生活空間を飾るのを兼ねてエキゾチックな果樹や花を育てるのは理想的な方法かもしれません。純粋にオーガニックな庭では病気の管理にも有効ですが、それについては後で述べることにします。